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コーヒーブレーク(74)

 
How to change 時代のキャリア戦略D

年収の1年分蓄えよ

  不確実性が高い時代、会社は「明日からサッカー」というような業態の変更を迫られる。進むべき方向がある日、突然分かるからだ。それに備えて個人も普段から準備をしていなければならない。その準備の第一が、1年分の年収に相当する金額の蓄えを持つことだ。
「サッカーはいやだ。他所のチームに移って、野球を続けたい」と思っても、すぐに別なチームにポストが見つかるとは限らない。失業中の生活を支えるお金が必要である。
年収の1年分を蓄えよ、という指示は、大学卒業時、ゼミの指導教官である坂本二郎先生からいただいた。「断固として自分の信じる道を進むためには、意見の衝突を恐れてはならない。仕事を失うことを恐れて正論がはけないようでは、責任ある地位は保てないし、部下も守れない。もらった給与を無駄遣いせず、できるだけ早く蓄えよ」が先生の命令であった。

 

給与は赤字もしばしば

  日立製作所に入社、茨城県の家電品の工場に配属となった。現場実習終了後勤労課の労務係となった。すぐに明らかになったのは、先生の指示を守るのはとても大変、という学生時代の続きのような生活環境であった。まず寮生活、寮には昔ながらのストームの習慣があり先輩連中が、年次別に押し掛けてきた。われわれもお返しに押し掛ける。現場実習でお世話になった人々とも飲み会を設定する。職場の飲み会もあるし同期会もある。悪いことに寮の隣に飲食ができる施設があり、代金は給与から天引きで利用できた。組合員になれば青婦協の活動もあるし、委員会活動もありそれぞれに飲み会が設定される。
要は、コミュニケーションの場は、飲み会を軸に作られているといって過言ではなく寮費、洗濯代、飲食代、その他を差し引かれると、給与は赤字もしばしばで、とても貯金できる状況ではなかった。

 

悪戦苦闘

  仕事の面では、電子計算機の導入時期、われわれも言語(コボル)を学んで現状の仕事を、計算機を使って実行することが求められた。といってもコボルのプログラム学習の教科書を与えられ、「自学自習、3か月以内に給与計算や昇給賞与の事務ができるようにせよ」という命令であった。出来上がったプログラムをテストするのだが、初心者の悲しさ、1回ではとおらず3〜4回の手直しが常であった。テストは計算機が通常業務で使われていない時間帯に行わざるを得ず、深夜残業に次ぐ深夜残業をよぎなくされた。おかげで給与が赤字のようなことはなくなったが、今度は給与を使う機会がなくなってしまい、給与袋が封をきらぬまま、寮の部屋に転がっていることになった。おかげで、年収1年分の蓄えは、割合 速く達成することが出来た。

 

戦略上の位置づけ

  年収の1年分の蓄えの効力は何であったかは不明だが、戦略目標を追及するうえで、道筋の変更を自由におこなうためのバックアップを持っているという安心感は、有用であったように思う。大学に戻ってもう一度勉強しようかなと思うこともあったが、タイミングを探しているうちに仕事が面白くなり、その考えは消え、海外勤務希望が別に生まれた。そのために専門性の向上に力を入れた。その後、本社の人事部に転勤になり、数年して運よくアメリカの子会社の人事勤労担当として派遣されることになったが、それも仕事と私生活の折り合いが良くなった結果と思われる。坂本先生に感謝すること大。

以上

 
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